市議会とその他の名所・旧跡・観光スポット
平成の大合併で枚方市、交野市との合併が協議され、京阪間の政令指定都市を模索した時期もあった。京阪間のベッドタウンとして発展したが昼間の賑わいには乏しい3市が、一つになって、文化や産業の集まる核ができれば、住民の居住地への愛着が高まると期待されたが、住民側の要望が無く、北河内全体の協力関係の強化を充実させ住民生活の向上を図っている。2005年度に京阪本線立体交差に係る国の調査予算が採択され、設計も行なわれ始めた。京阪電気鉄道京阪本線が市中心部を、JR片町線が市東部を貫く。
市の花が菊である事など、枚方市の象徴的な存在として多くの人に親しまれている。枚方から隣接する交野市にかけての一帯には、平安の昔「交野ヶ原」と呼ばれていた頃から伝わる七夕伝説がいまに残されている。天の川を間に、別れ別れになった織姫と牽牛が、年に一度、七夕の夜に逢って愛し合うという七夕の話にちなんだ地名や旧跡が存在する。なお、前述の誤読およびこれらの伝説との共通性から、星丘地区はアニメにもなったPCゲーム『ななついろ★ドロップス』での舞台「舞方市星ケ丘」のモデルとも言われている。
市の南部にある南茨木駅の東側一帯に弥生時代の大規模環濠集落の遺跡である東奈良遺跡がある。二重の環濠の内部に多数の住居や高床式倉庫など大型建物があり、外部には広大な墓域もあった。なかでも銅鐸・銅戈・勾玉などの鋳型が出土した工房跡が発掘されており、ここの鋳型で生産された銅鐸が近畿一円から四国でも発見されている。この集落が奈良県の唐古・鍵遺跡と並ぶ日本最大級の銅鐸工場、銅製品工場であり、弥生時代の日本の数多くのクニの中でも、銅鐸を各地に配布できるような政治的に重要な位置を占めていたことが伺える。日本でも有数の古墳群地帯で継体天皇陵と治定され宮内庁管理下の太田茶臼山古墳、1934年に玉枕を敷き錦をまとった豪族らしき人骨が発見された阿武山古墳が阿武山山頂にあり古墳時代初期から末期までの各時代の古墳が現存している。平安時代には、市の北部を東西に走る西国街道の往来が盛んとなり江戸時代には参勤交代などに利用され、大名などが宿泊し郡山宿本陣が残っている。室町時代の前半には市の繁栄の基礎となる茨木城が楠木正成によって築かれた。茨木城主時代には城下町として賑わい、大坂の陣後、江戸幕府天領となった後も京都と大坂、丹波と大坂間を結ぶ交通の要衝として栄えた。
たまかつま しまくまやまの ゆふぐれに ひとりかきみが やまぢこゆらむ 島熊山の夕暮れに、一人で君が山路を越えるであろうか。 千里丘陵の高峰として知られた島熊山は万葉集にも詠まれ、1962年に豊中市緑丘2丁目に建てられた豊中不動尊境内にこの歌碑が建てられている。